湯治のすすめ

古くから伝わる民間療法、
その効用に迫る

日本で古くから親しまれてきた湯治。現代のような先進医療がない時代には、温泉でからだを温めることが治療法のひとつとして広く利用されていた。温泉でゆっくり過ごすことで、冷えや不眠、からだの痛みなどの不調を癒す方法である。時代とともに衰退していた湯治文化だが、ここへきてまた見直されはじめている。

その力を探るため、日本一の源泉数と湯量を誇る湯の里・別府温泉の鉄輪(かんなわ)へ。そこで古きよき湯治場を守る人びと、そこに集う人びとに出会った。

温泉には、西洋医療にない
自然の治癒力があった

まちのあちらこちらから白い湯けむりが盛大に立ちのぼる別府。この温泉郷には個性さまざまな8湯がある。そのうちの1湯、鉄輪温泉は鎌倉時代に時宗の開祖、一遍上人が開いたとされる温泉地。以来、名高い湯治場として知られ、いまも昔ながらの風情の湯治宿が多く残る。

一遍上人像をまちのいたる所で見かける
鉄輪には、湯治で足が治った人たちが必要なくなった松葉杖を捨てていく場所があった
地域の人に愛されている共同温泉「地獄原温泉」。塩分を含む鉄輪温泉の湯はよくからだを温めるうえ、しっとりと肌をうるおすといわれる

そもそも湯治とは古来、皇族や貴族など身分の高い人びとや戦国時代の武士が病や傷を癒したもの。江戸時代には庶民にも広まり、農民や町人が湯治願いを出して旅立った。現代では温泉というと1~2泊程度の観光目的がほとんどだが、本来の湯治は3週間ほど滞在するのが基本。湯治宿はいまもほとんどが自炊で、洗濯なども自分でおこなう。いわば暮らしながら、じっくりと病の治癒や健康増進を目指すものだ。

鉄輪温泉の老舗湯治宿「双葉荘」は昭和15年創業。二代目おかみ、伊東アサ子さん(71歳)はかつての鉄輪温泉をこう語る。

「鉄輪がいちばんにぎわったのは戦後から昭和40年代。農閑期に骨休めに来る農家の人や筑豊から自家用車で乗りつける炭鉱主、老人クラブの方々……。団体さんには6畳間に5人も寝てもらう繁盛ぶりのときもありました」

湯治宿「双葉荘」のおかみ、伊東アサ子さん。温泉のおかげか肌もつややかだ

このように愛されてきた湯治の効能について、九州大学病院別府病院内科で温泉医学を研究する前田豊樹准教授に聞いた。

「温泉には温熱効果のほかに、自律神経を整えることでバランスがくずれた生体を理想の状態へもどす力があります。たとえば低血圧と高血圧両方に効く薬はありませんが、温泉は生体調整作用でどちらも治すのです。長く逗留して存分に温泉の力を得る湯治は、より有効でしょう」

医学博士
前田豊樹氏

九州大学病院別府病院内科准教授。専門は内科、神経内科、加齢医学、温泉医学。大阪大学医学部附属病院、九州大学病院勤務などを経て2011年より現職。地の利を生かし、温泉治療の医療への応用拡大を目指す

別府病院には以前、温泉病床が存在した。前田先生はそこで温泉の驚くべき力を見たという。

「激しい腰痛と足の冷えに悩む患者さんが足湯で痛みも冷えもとれたのです。この薬いらずの厳然たる“治った感”はすごい。わたしも温泉医学として研究を進めています」

湯の力と人情、ふれあい
それが心身を癒す湯治の魅力

さて、話の舞台を鉄輪にもどそう。双葉荘は大小20室の自炊の宿。病気や不調を湯治で治したいと願う人、のんびりと休養を楽しむ人など、客層はさまざまだ。泉質はナトリウム・塩化物泉。おもに神経痛やリウマチ、切り傷などに効くとされるが、さまざまな症状がラクになると評判だ。

実際、毎年同じ時期に通ううちに湯治友達ができたり、つき合いが長くなるお客さんも多い、とおかみさんは言う。

「思い出深いお客さんの中には、こんな方も。100歳のお祝いはなにがいいか家族に聞かれ、『一晩でいいから双葉荘に泊まりたい』と言って来てくれました。しばらくお見えになっていなかっただけにとてもうれしかったですね」

おかみさんにそんな話を聞くうち、夕方に。炊事場にはお客さんたちが集まってきた。源泉タンクから引いた100℃以上の蒸気で食品を蒸しあげる「地獄蒸し」で、夕食のしたくをするためだ。ご飯や魚介、肉、卵、野菜など、どんな食材も手軽に、甘みやうまみを増してふっくら蒸しあがる。脂が適度に落ちて健康的なうえ、食材から温泉成分もたっぷりとりこめる。温泉療法のひとつに、湯を飲んで治す“飲泉”があるが、それと同じ考え方だ。

備えつけのかごに食材を入れて地獄蒸しの釜へ。湯治客が好んで調理するのは野菜類の上に豚肉などを乗せて蒸す栄養バランスもいい一品
友人同士で湯治に来た、宮田みつさん(77歳・右)と伊藤幸子さん(80歳、左)。眠れないほどの冷えも解消したそう
福岡から来た田端高夫さんと節子さん夫婦。節子さんの足腰の痛みも温泉でやわらぐとか

夕食準備でにぎわう釜の前にやってきた田端高夫さん(88歳)・節子さん(87歳)夫妻は30数年来の常連。節子さんは湯治をすると帯状疱疹や足腰の痛みがやわらぐという。高夫さんは、「気管支に持病があり、1ヵ月前に喀血しました。でもここで湯治をすると湯気のおかげか気管がラクになります。ゆっくりリラックスして湯治を楽しむのも心身にいいのでしょうね」

湯治客のみなさんが口をそろえて語ってくれたのは、実際の効能効果にくわえて、この「リラックス効果」や「楽しさ」。現代生活では失われつつある、ゆったりした時間や人とのふれあい。「また会えましたね。お元気でなにより」という再会のよろこび。からだの癒しと心の癒し、その両方があるからこそ、湯治文化は再び見直されているのだろう。

食材によって蒸し時間が異なる、とアドバイスをするおかみ。ベテラン客が初心者に教えることも多い。このふれあいが湯治ならではの魅力だ

取材協力

双葉荘
大分県別府市鉄輪東6組
電話 0977-66-1590

昔ながらの風情を大切に、
新しい鉄輪の魅力を発信中

なつかしい湯治場の雰囲気を生かしながら、鉄輪をさらに魅力的なまちにしようととり組む人たちがいる。そのひとりが橋本栄子さん。老舗の旅館「サカエ屋」を引き継ぎ、重厚な造りはそのままに洗練された和モダンの宿「柳屋」へと進化させたおかみだ。

さらに鉄輪には明治期築の旅館「冨士屋」をクラフトショップやカフェ、ギャラリー&ホールとしてよみがえらせた「冨士屋Gallery一也百(はなやもも)」も。まち歩きの楽しみが高まり、最近は若い湯治客の姿も増えたという。

取材協力

柳屋
大分県別府市鉄輪井田2組
電話:0977-66-4414

「柳屋」のおかみ橋本栄子さん

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2024/04/28 16:23:18