現在のような「薬」がない時代、人びとの健康を支えていたのは薬効のある野草、つまり薬草であった。いまでは里山でも忘れ去られてしまった、薬草を上手にとり入れた暮らしの知恵。そんな古きよき日本人の暮らしを、現代に蘇らそうとしている「薬草博士」がいるという。取材班はさっそく岡山県美作(みまさか)市へ飛んだ。
里山から野草が消える?
貴重な資源を守るために
「このクワの葉にはDNJという成分が含まれていて、食後の血糖値の急上昇を抑えてくれます」「あそこに生えているノブドウはアレルギーの改善によく効きます。軽いものなら、葉を煮出したお茶を3ヵ月くらい飲むと花粉症が治りますよ」
美しい棚田が目の前に広がる里山の道で、そこかしこに生える野草を見つけては、種類や効能を説明してくれる。
約150名の人びとが暮らす岡山県美作市の上山地区。土地の人たちから「薬草博士」とよばれる松原徹郎さん(46歳)は、奥さまの久美さんと3人の子どもたちを連れて、2013年に大阪から上山へと移住した。
古くは、日本最大級ともいわれる棚田群が見られたが、高度経済成長期以降は耕作放棄によって荒廃。2007年から、大阪から来た若者たちによって棚田を再生する活動がおこなわれている。松原さんもそのメンバーであるが、「ぼくの場合は野草がメイン。もちろん棚田も大切ですが」と笑う。
「耕作放棄されて竹藪や笹に覆われた棚田を再生させることで、日あたりのよい畦ができる。そうした畦にはたくさんの種類の野草が生えるんです」
20代のころから40歳になるまで環境調査の仕事に就き、1年の約半分を里山で過ごす日々を送った松原さん。
「全国各地で調査をおこなううち、数年前には自生していた貴重な野草が、里山の荒廃とともに消えてしまう現実を目のあたりにしました。薬がない時代からつかわれていた野草は、本来なら貴重な自然の資源ですからね。薬草としての価値を多くの人や次の世代に伝えていくためにも、まずは里山を元の姿に戻し、自分たちで野草の活用をはじめようと考えたんです」
それが、松原さんが移住を決断した大きな理由だ。
病気知らずのからだをつくる
220種類もの薬草たち
日照時間や日のあたり方が場所によってかわるため、土の成分が微妙に異なる。そんな上山はまさに野草の宝庫だ。
「現在までにこの集落で約670種の野草が見つかっていて、そのうち約220種が薬効成分のある薬草です。このあたりでも大正時代くらいまではあたり前のように野草が薬がわりにつかわれていたようですが、その時代のことを知る方もいまでは数すくなくなっていますね」
そう話す松原さんが「スミさん」とよぶ、御年91歳の小林純男さんを紹介してもらった。
「野草のことは子どものころ母親にいろいろと教わったよ。リンドウやらセンブリ、ミコシグサ(ゲンノショウコ)。胃が悪くなったら飲めとよく言われたもんさ。あれは消化にええんやったかな。このあたりではほとんど見られなくなってしもうたな」
それでもこの里山には、薬草としてつかえるものがたくさん残されている。
「野草にも旬があり、もっとも薬効成分が多くなる時期を見極めて摘むことも大切なんですよ」
そう話す松原さんについてすこし集落を歩くだけでも、クワやノブドウのほか、クズやヒキオコシにスミレやハコベ……秋の野草に次々と出会った。
「ヒキオコシは胃痛や二日酔いによく効きます。イノコヅチは飲めば神経痛が30分で治まりますし、ハコベには消炎作用があって、肌や消化器官の炎症を抑えてくれるんですよ」(松原さん)
これらはそのまま食べてもいいが、乾燥させ煮出してお茶にするのが松原さんのおすすめ。松原家ではほかにも、ふだんの料理をはじめ、日々の暮らしに野草がとり入れられている。
「いまの暮らしをはじめて、わたしたちもそうですが、子どもたちが風邪ひとつひかなくなりました。からだの免疫力を高めたり慢性疾患を予防したりと、野草にはたくさんの効能があります。そんなにいいものがこれだけ生えているんですから、つかわないのはもったいないですよね(笑)」とは、奥さまの久美さん。
野草の力で病気にならないからだをつくる。そんな生活を普及させ、将来的にはこの上山で、野草をつかった健康相談所を開設したい。それが松原夫妻の夢。
里山こそがくすり箱。松原夫妻の夢が叶うころには、野草をとり巻く状況も大きく様がわりしているかもしれない。
上山は薬草の供給地
かつてこの土地の人びとは野草を薬に食用にと重宝してきた。80歳以上のお年寄りのなかには、「子どものころには小遣い稼ぎでセンブリやミコシグサを集めた」と話す人も。じつは、大正時代の初期までは、「富山の薬売り」で有名な富山の家庭薬行商人が、しばしば原料の調達に来るほどの薬草の宝庫であったのだ。