野草酵素の生みの親である近藤堯氏の波乱の人生を描き、日本全国で大反響を巻きおこしている漫画「妙高の緑風」。 戦前から現在まで、ゆるぎない信念をもって酵素の研究に身をささげた氏の80年に迫ったこの作品は多くの感動と共感をよび、このほどついに完結をむかえた。それを記念し、物語の主人公である近藤堯会長本人に、話を聞いた。
何事にも夢中になった
少年時代
——近藤会長は先日、ちょうど80歳のお誕生日をむかえられたとか。そんな記念すべき年に、ついに第5巻をもって「妙高の緑風」が完結しました。
近藤会長 自分でも反響の大きさに驚いています。取材の依頼を受けたときは、私なんかの話を漫画にして何が面白いのかと思いましたが。
——いや、そんなことはないですよ。酵素研究に捧げた会長の熱意には、全国のみなさんが共感されたはずです。とくに同じ時代を生きた同世代の方から多くのおハガキをいただきました。
近藤会長 豊かになったいまと違って、戦中、戦後と大変な時代でしたからね。
——まずは第1巻、家族だけでなく村の人びとや和尚など、皆から愛される堯少年が、「下の坊」としてイキイキと描かれています。橋の上で眠ったり、他人の家の晩ごはんを食べ歩いたり、ほんとうにあのような少年だったのですか?
近藤会長 うん、あのまんま(笑)。
——なかでもキュウリの成長を見たくて何日も泊まりこむシーンが印象的ですが、あのキュウリが「ズムッ!」とふくらむところは実際に見れるのでしょうか?
近藤会長 太陽の出る15分くらい前かな。じっと集中して見ていると、ふくらむんだ。植物は知ってるんだろうね、なにが栄養をくれるのかを。光合成しようとする自然の本能なのかもしれないね。
——へー、そうなんですか! そして高田農学校ではじめて顕微鏡をのぞきこむシーンがあります。最初に微生物を見たときは衝撃的でしたか?
近藤会長 あんなに面白いものはないよ。だって、小さいのが右に左に動くんだから。飽きずに何時間でも見ていられたね。
——終戦の様子も描かれていますが、当時の気持ちをくわしく聞かせてください。
近藤会長 漫画では予科練に落ちたままになってるけど、じつはそのあともう一度受験して合格したんです。そして志願兵として飛行機に乗る準備をしてた。でも飛ばなかった。敗戦間近の日本には、もう燃料が残っていなかったんだね。
あたり前のことだから、
ちっとも迷わなかったね
——そして戦後をむかえるわけですが、昭和22年に農地改革が行われます。戦争でお父さんを亡くされ、まだ学生でありながら近藤家の当主になっていた堯少年の立派な決断に、読者から賞賛の声が寄せられました。しかし会長、なぜ政府の通達に従って小作の方たちに安く田んぼを売ろうと思われたのですか?
近藤会長 従ったわけじゃない。あたり前のことだと思っただけ。だって不公平でしょ? 何もしないで他人のつくったお米をもらうのは。子どものときから、おかしいなあってずっと思ってた。だからちっとも迷わなかったね。一転して生活は苦しくなったけど、これが自然で本来の姿だな、と。
——はああ! 感激しました! そして堯少年に大きく影響を与えたのが、祖父の一作さん。「真実はたった一つだすけ、よく見れば必ず答えは見っかる」などの名言を残し、読者のあいだでファンも多い“一作じいさん”ですが、どんな方でしたか?
近藤会長 ひと言で言えば、厳格。でもわたしに対しては、おおらかと言うか、なんでも好きなようにやらせてくれるじいさんだった。トットコ(鶏)でもなんでも買ってくれたし、「馬に乗りたい」と言ったら馬も用意してくれた。研究で小屋に閉じこもってても、なんにも言わずに放っておいてくれたしね。
好き放題に研究できることが
うれしかった
——なるほど。研究といえば、第3巻、大宮の国立研究所へ入所するやいなや、オガ屑から画期的な肥料飼料を開発されます。
近藤会長 研究所はね、好き放題に研究できることが何よりうれしかった。学校と違ってお給料までもらえるしね(笑)。
ところがせっかく開発された肥料飼料を棄てろと、上から指示がある……。これはそうとう悔しかったでしょうね。
近藤会長 うん、自分では正しいことをやってきたつもりだったから、スジが通らないというか、納得いく結果ではなかったね。
あまりのドラマティックな展開に、読者の方からは「多少の脚色もあるでしょうが……」とのおハガキもいただきました。
近藤会長 いや、ほとんど脚色はなし。実際にはもっと暗くてつらい話もたくさんあった。でも私の話をそのまま漫画にすると暗いストーリーになってしまうから、原作の谷川先生が明るく手直ししてくれたんだろうね。
漫画では描かれなかった
ストーリー
——研究に熱中するあまり包丁をもって血まみれになり、精神病院で一夜を過ごすシーンには思わず笑ってしまいました。あれも実話ですか?
近藤会長 あれは実際にはもっとシリアス。豚を解体して腸のなかを調べていたんだけど、ご存知のように臓器は足がはやい。解体するとすぐに腐敗がはじまるから、私も必死。血まみれのまま、にぎり飯片手に顕微鏡をのぞいているんだから、はたから見ればゾっとする光景だったろうね。
——第4巻では大学教授の杉先生との偶然の出会いから、野草を原料にくわえるヒントをいただきます。
近藤会長 杉先生からのアイデアはもちろん、『野草酵素』は多くのひとの支えがあってこそいまがあるんです。今回漫画にしていただいて、あらためて思い返しました。
——いままで会長はひとりで研究をつづけられてきた印象がありましたが、実際にはたくさんのまわりの助けがあったことが、漫画を読んでわかりました。
近藤会長 たとえばはじめの頃からずっと研究に協力してくれた相澤さん。じつは漫画では描かれなかった話があってね。昭和59年に会社を再建するとき、旧友たちがいろいろ力を貸してくれたんだけど、どうしてもお金がたりない。一度会社を倒産させたわたしにお金を貸してくれるところなんて、どこにもない。そんなときに何も言わずに保証人になってくれたのが相澤さん。彼がいなかったら、『野草酵素』はこんなにも多くのひとに届けられなかった。
若いひとの肥やしになれば、
うれしい
——感動的なお話ですね。そしてお母さまの病気や会長ご自身の入院というたいへんな困難を乗り越え、ついに第5巻で『野草酵素』が完成します。
近藤会長 はじめは売れなかったね。ほんとうに売れない(笑)。でも酵素は現代人のからだに足りないもの、ほんとうに必要なものだっていう自信はあったから、いつか理解されると信じてた。
——そんな思いがつまった『野草酵素』だからこそ、これほど多くの人に愛されているんですね。最後に聞かせてください。この漫画を読んで、「理科が好きになって成績が伸びた」という小学生がいました。「孫に読ませたい」、「図書館に置いてほしい」との声も多々あります。どう思われますか?
近藤会長 うん、うれしいね。若いひとたちの将来の肥やしになれば、こんなにうれしいことはない。勉強は好きにさえなれば、放っておいても自然とやりたくなるもの。まずは「好き」を見つければいい。そして勉強は学校だけじゃない、ってことも知ってほしいね。日常のどんなところにも、答えやヒントはたくさん転がっているんだ。
——「答えは必ず自然界が用意してくれる」、ですね。
近藤会長 そう、そのとおり。
——本日はありがとうございました。