日本人のキレイ志向が止まらない。薬局をのぞけば「除菌」「抗菌」「殺菌」とものものしい言葉を掲げた商品が並び、飲食店ではあたり前のようにウェットティッシュで手を消毒。病院のようなニオイが鼻をつく。家に帰れば、薬用石鹸の出番。菌から身を守るには、1日に何度も手を洗うことが必要だそうだ。
そのいっぽうで、菌や微生物のたまものである発酵食品がブ−ムとなっている。スーパーでは納豆やヨ−グルトが飛ぶように売れ、多くの人が毎日せっせとからだに「有用な」菌をとりこむことに忙しい。
菌とのつきあい方を忘れてしまった日本人。過剰なまでに清潔を求める理由は、いったいどこにあるのか?
異様なまでに加速する
現代人の清潔志向
1996年5月。岡山県邑久郡(現瀬戸内市)の小学校 ・幼稚園で集団食中毒が発生。つづく7月には大阪府堺市でも同様の事態が起きる。患者数8000人超、死者5名を出した一連の事故の原因は、「腸管出血性大腸菌O-157」。マスコミは一斉にその惨状を報じた。
これが、かねてから高まりつつあった清潔志向に火をつけることになる。O‒157に限らず、「大腸菌」ひいては「菌」という言葉が病原菌と同じイメ−ジで捉えられるようになったのだ。
やがて人びとは、殺菌効果のある薬用石鹸や抗菌加工された製品などの除菌グッズを買い求めるようになる。その後、感染症への恐怖も相まって「キレイ社会」はますます加速。いまや、どこへいってもアルコール除菌スプレ−が置かれているような異様な状況だ。もはやわたしたちはごくあたり前の行為として、なにも意識することなく、ただ受動的に殺菌・除菌・抗菌に励んでいる。
しかし、すべての菌を排除することでほんとうに病気から身を守ることができるのか? 答えはノー。それどころか、取材を重ねるうちに、ある衝撃的な事実が浮き彫りになった。
菌には3つの種類がある
菌は微生物の1種で、細胞やDNAの特徴をもとに「細菌」、「古細菌」、「真菌」の3つに分類される。細菌はDNAを覆う核膜がないもので、乳酸菌、大腸菌、各種病原菌はこれにあたる。古細菌も核膜がないがDNA配列が細菌とは違う。真菌は核膜をもつもので、カビやキノコ、酵母などを指す。
ちなみにO-157は大腸菌の変種で、殺菌剤などに対抗して生まれた。生命力が弱く自然界では生き残れないが、他の菌のいない清潔な環境(給食室など)では猛烈に繁殖する。なお、混同されがちだがウイルスは菌とはまったく別のもの。細胞をもたず生物ですらない。
健康のための除菌・抗菌が
不調を招くという皮肉
「アレルギーも生活習慣病も、現代特有のあらゆる不調の原因のひとつは、この『キレイ社会』です」
そう語るのは、医学博士の藤田紘一郎氏。以前から日本人の過剰な清潔志向に警鐘を鳴らしつづけてきた。藤田氏によれば、アレルギーや生活習慣病のみならず、なんと不眠やうつといった精神的な不調までもこの「キレイ社会」に一因があるという。そして、問題の根っこは人びとが「除菌・抗菌」に対して抱く大きな勘違いにあるようだ。 わたしたちは病原菌やアレルゲンなどを排除しようと除菌につとめてきた。しかし、強力な作用をもつ除菌グッズは都合よく悪い菌だけを殺してくれるかというと、そうではない。
医学博士
藤田紘一郎氏
東京医科歯科大学名誉教授、人間総合科学大学教授。専門は寄生虫学、感染免疫学、熱帯病学。
たとえば薬用石鹸で手を洗ったとしよう。そのときたしかに病原菌は排除されるが、同時にみな殺しにされてしまうのが「皮膚常在菌」。人間の皮膚に棲みつき、病原菌などの外敵から身を守ってくれる菌たちだ。その皮膚常在菌を殺してしまうのだから、病原菌は侵入し放題である。
さらに影響は、わたしたちの免疫力を支える「腸内細菌」にまで及ぶ。これはいっそう深刻な問題だ。腸には数百種類もの菌が棲みつき、互いにバランスをとることで病原菌に負けない強いからだをつくる。しかし腸内細菌は外界の雑多な菌と触れ合うことで活性化するため、身の回りの菌を排除した状態ではどんどん貧弱になってしまうのだという。
つまり、「不調を防ぐため」と除菌・抗菌に励むことが、かえって病原菌の侵入を招き、不調に弱いからだをつくってしまうという皮肉。「キレイ社会」に依存する現代人はみな、この悪循環に陥っているのだ。藤田氏は言う。
「清潔志向も度を過ぎれば、からだに害を及ぼします。身の回りにいる菌たちを病原菌といっしょくたに悪者にし、みんな排除すれば健康になれるというのは大きな間違いなのです」
企業は商品を売るため
菌を悪者に仕立てあげた
それにしてもなぜ、ここまで清潔志向は加速してしまったのか。ここでその大きな要因として提示したいのが、コマーシャルの存在だ。
わたしたちは日々テレビなどを通じて、手やキッチンにバイキンがウヨウヨと増え、あたかも健康を害するかのようなCMを見せられている。菌はじっさいには目に見えないだけに、映像のイメ−ジによっていたずらに恐怖心は煽られていく。そしてわたしたちは必要以上に神経質になってしまったのだ。
しかしこれでは除菌グッズを販売する企業の思うツボだ。CMは商品を売るために菌を悪者に仕立て、「除菌」という付加価値をつくりだしたに過ぎない。そのことを忘れ、わたしたちは除菌・抗菌という売り文句を「なんとなく必要なもの」と受け入れているに過ぎないのだ。
そもそも菌と人間は
昔から共存してきた
では、わたしたちはどのようにして菌と上手くつきあっていけばよいのか。ヒントを追い求め、『野草酵素』の開発者、近藤堯氏に取材した。
「最近の除菌志向は異常です。いっぽうで、乳酸菌やビフィズス菌ばかり持ち上げられていることにも疑問を感じます」
意外な答えが返ってきた。いわく単独の菌を純粋培養してつくったヨーグルトなどは、期待する程の健康効果をもたらさないのではないかという。じっさい近藤氏は純粋培養ではなく、「共生培養」という他にあまり例のない方法をとっている。
「共生培養とはすなわち、自然界のバランスを再現するということです。よく『土壌菌』という言い方をしますが、自然界では何千種類もの菌が混ざりあい、絶妙のバランスを保っている。その結果、いわば全体として優れた『有用菌』となっているのです」
なるほど。つまりそれぞれに違う性質をもつ菌が共存し、争いあうことで互いのよさを引きだしているというわけだ。
「そして忘れてはいけないのは、人間の腸の中でもそれと同じことが起きているということ。自然界の菌と共生し、腸内でさまざまな菌が競いあうことで腸内細菌は鍛えられ成長していきます。善玉菌ばかり増やせばいいわけではなく、善玉菌・悪玉菌双方がバランスをとってはじめて免疫力が生まれるのです」
ここに、大きなヒントがあった。そもそも菌によいも悪いもないのだ。人間ははるか昔から、自然界の多彩な菌と共存してきた。それをいまさら、害毒と思われる菌は排除し、有用と思われる菌だけ摂取しようなどというのは、身勝手で愚かな発想だったのだ。
思い出してみよう。わたしたちは小さかったころ、田んぼで遊び、土のついた野菜を食べ、井戸の水を飲んでいた。そこには生活習慣病もアレルギーもなかった。あれはまさに菌と人間がしあわせな共存関係にあったという証なのだ。
わたしたちは大切なものを捨て去ってしまった。しかしほんの少し意識を変えるだけで、菌と人間はまた上手につきあっていくことができるはずだ。いまからでもまだ、間に合うのではないだろうか?
共生培養とは?
近藤堯氏が実践する共生培養。それは単一の菌だけを純粋培養するのではなく、自然界のバランスにならい複数の菌をいっしょに培養するという方法だ。そうすることで菌は互いに争いあい、それぞれの有用性をさらに高めていく。『野草酵素』の生産工程では近藤氏が試行錯誤を重ねた末に厳選した、52種類もの菌を共生培養している。