菌と語らう、寒仕込み

米、麹、酵母が 醸すうまい酒

米を原料に、黄麹菌と酵母で醸(かも)される日本酒。ふたつの菌が同時にはたらく並行複発酵という難易度が高く手間もかかる方法でしか生みだせないため、機械化の時代にあってなお、酒蔵ではいまでも杜氏と蔵人が手作業で日本酒を造っている。

寒仕込みともよばれる日本酒造りの最盛期にあたる2月上旬、日本で7番目に古い歴史を持つ長野県川中島の酒蔵、「酒千蔵野」を取材した。

※杜氏…蔵人を束ね、酒造りの指揮をとる現場の責任者
※蔵人…日本酒造りを担う職人
※並行複発酵…麹菌が米のでんぷんを糖にかえる糖化と、その糖を酵母がアルコールにかえるアルコール発酵のふたつが同時に進行する、日本酒特有の製造法

主役はふたつの菌
人はそれを助けるのみ

武田信玄と上杉謙信の戦で知られる、長野県川中島。この地で酒造りをおこなう酒千蔵野は、天文9年に創業されて以来475年の歴史を持つ全国でも7番目に古い蔵だ。

ここで蔵人を束ね、酒蔵の指揮をとる「杜氏」は、蔵の長女の千野麻里子氏(48歳)が務めている。

酒千蔵野
千野麻里子氏(48歳)

1967年生まれ。天文9年(1540年)創業の酒造所、「酒千蔵野」の杜氏。みずから醸した「幻舞」は第54回長野県清酒品評会で優等賞受賞。マスクメロンのような華やかな香りと気品のある優雅でまろやかな味わいと評され、海外にもファンを持つ

「長年、酒蔵は女人禁制でしたけれど、後継者不足や女性の社会進出が進んだことで女性杜氏が増えてきました。酒造りは力仕事が多く男性中心と思われがちですが、主役はあくまで菌。わたしたちは菌がよい状態で米を醸せるように助けることが仕事なので、性別の違いはあまり問題になりません」

千野氏の言うように、日本酒の仕込みは生きた菌が相手となるため、細やかな人の手が欠かせない。たとえば、蒸した米に麹菌をふりかける動きの微妙な違いが酒の味に影響するため、この作業は必ず杜氏がみずからの手でおこなう。また、麹菌を繁殖させる製麹の工程では、48時間つきっきりで麹室の温度調整をしなければ酒のうま味を引きだす麹にならない。そのため温度が下がればマットを巻いて温め、上がれば水で冷やし……と菌のご機嫌をうかがうように尽くすことが求められる。

表紙で杜氏が蒸し米にかけていた黄麹菌。この量で約1400升分の酒になる
酒造りでもっとも大切な製麹。蒸し米に黄麹菌をまぶし、手で温度を確認しながら何回も切り返す。この仕上がりが酒の味を左右する
昨日仕込んだばかりの醪(もろみ)。無数の泡は酵母がアルコール発酵している証

杜氏の語源

杜氏という名称の由来は諸説ある。神社でお神酒を造る「社司」が変じたとも、リーダーを意味する「頭司」から来たともいわれている。

なかでも有力なのが、古語で主婦を指す「刀自」説。酒造りは男性の仕事と思われがちだが、その起源は縄文時代後期に米や木の実を噛んで吐き出したものを野生酵母で発酵させた「口噛みの酒」といわれ、神事の際に巫女が造っていた。酒が経済的価値を持つ鎌倉時代になると組織的な製造にかわり造り手も男性に変化したが、言葉はそのまま残ったと考えられている。

どんなベテランでも
毎年、一年生

日本酒造りは荒々しいもの、というイメージを抱く人も多いが、じつは、繊細な作業の連続なのだ。

しかし、どれだけ細やかに気をつかってもうまい酒ができるとは限らないという。その理由を千野氏はこう説明する。

「米の出来も毎年違えば、気温も湿度もなにひとつとして前年と同じことはありません。ですから、どんなベテランの杜氏でも酒造りは毎年一年生。日ごと樽ごとにかわる酒と菌たちの些細な変化も見逃せません」

発酵をうながす櫂(かい)入れ。櫂の感触で発酵具合を確かめる
発酵が進み、米の粒が溶けた醪。絞れば酒と酒粕に

日本酒の製造に教科書はあっても、正解はないという。この酒は100%の出来、と納得するものを造れる機会は一生かけても訪れるかわからない、と千野氏はつづける。だからこそ、どの杜氏も蔵人も全身全霊を注いで仕事にあたるのだ。

受け継いだものを
次の世代へつなげていく

このように、うまい酒は昔ながらの手間と時間をかけた菌との対話なくしては生まれない。それゆえに厳しく、挫折して蔵を去る人もすくなくない。杜氏の後継者がおらず廃業する蔵もあるという。

けれど、明るいニュースもある。洋酒に押されがちだった日本酒のうまさや味わい深さが見直され、いま静かなブームとなっているのだ。それにともない日本酒を愛する若者が増え、酒千蔵野にも3人の若い蔵人が入った。

杜氏を支える蔵人たちと。3人の蔵人は20代から40代とみな若い

「彼らにいま、米の選択から醸造まですべてひとりでおこなう『責任仕込み』のお酒を任せています。わたしも修行中、先代の杜氏から同じ課題をもらって必死にお酒を造り、技術以上に酒造りへの想いを受け継ぎました。同じように、次の世代につなげていきたいですね」

数百年以上かけて培われてきた繊細な手法が伝承されていかなければ、日本酒は廃れてしまう。だからこそ、杜氏は酒を醸すだけでなく、人を育てることもまた大切な仕事なのだ。

3月下旬までつづく寒仕込み。今日もまた、杜氏と蔵人たちが菌と語らいながらうまい酒を醸しているのだろう。

長野県の酒造米、美山錦で造った「幻舞 純米吟醸」はライチのような華やかな香り。ほかに7つの銘柄を飲ませてもらったが、原材料が米と米麹のみということが信じられないほど多彩な味わい。この違いを生みだすのが杜氏と蔵人の技だ

取材協力

酒千蔵野の日本酒が飲める居酒屋
味な隠れ家 たのしや哲
電話 026-224-3855

居酒屋にて、自分が醸した酒の評判を尋ねる杜氏。若い人にも人気と聞き、思わず笑顔

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2024/10/06 4:20:43