“不思議な泉の水を飲んだおばあさんは、みるみる若返っていきました”
昔話「赤ん坊になったおばあさん」の一節だ。これに似た話は全国に伝わり、日本人が昔から水を神秘的なもの、ありがたいものととらえてきたことがうかがえる。
この考え方はいまも受け継がれ、平成の現在も病気平癒や健康を願い、神社やお寺で水をもらい飲む風景が各地で見られる。 なかでも、日本最古の社である大神(おおみわ)神社には「くすり水」とよばれる水がわき、全国から人が集まる。飲むだけで病気を遠ざけるという水を訪ね、いにしえの都・奈良へ向かった。
日本最古の神社には
病気平癒の水がわく
奈良駅から車で1時間。四方を山に囲まれ、数多くの古墳も発掘される奈良県桜井市に、日本最古といわれる大神神社がある。本殿を持たず、拝殿奥の三ツ鳥居を通しご神体の三輪山を拝す、古き神祀りの在り方をいまに伝える社だ。
そのご神体である三輪山に降った雨や雪が地層に染みて伏流水となり、ふたたび地上にわき出た水こそが「くすり水」。この水が出る井戸は「くすり井戸」とよばれ、すぐ横は病気平癒の神を祀る狭井(さい)神社の拝殿。水をもらいに来た人で常ににぎわっている。
「ご参拝の帰りにコップ1杯だけ飲む方もいれば、ペットボトル数本分汲んで帰る方もいます。入院中の家族に飲ませるため遠方から汲みに来た、という話も耳にします」
こう教えてくれたのは神職の平岡昌彦さん(54歳)。その言葉のとおり、「くすり井戸」にはさまざまな人が訪れていた。小さいころから飲んでいるおかげで病気知らずや! と笑う70代の男性。足の悪い父のため水を求めて愛知から来た60代の姉妹。50代の男性は、体調をくずしたとき「くすり水」を飲んだら熱が下がったことに感激して、毎日飲みに来るようになった、とうれしそうに話してくれた。
年齢も性別もさまざまだが、水をもらいに来る人がみな自然に井戸に頭をたれ、静かに水を汲む姿が印象的だった。
人の手が入らぬ神の山
「くすり水」はその恵み
「くすり井戸」に向かう道すがら、樹齢数百年を超える大きなスギが何本も生えていた。スギは良質な水と肥沃な土壌がなければ大きく育たない。この土地のゆたかさがうかがい知れる。
禁足地として守られ、太古の原生林が残る三輪山。その環境に注目しているのが、東京医科歯科大学の藤田紘一郎先生だ。
「わたしたちのからだを構成する細胞は1万年前からかわっていません。1万年前といえば縄文時代。自然界の一員としてつつましく生きていた祖先が飲んでいた水に近いものを飲むことは、細胞の活性化にも有効です。人の手で汚されず、深い地層を通ってわき出す生水は、人間のからだにもっとも適したものです」
医学博士
藤田紘一郎先生
1939年生まれ。寄生虫学、感染免疫学、熱帯病学を専門とし現在は東京医科歯科大学名誉教授。腸内環境や飲料水の研究は50年に渡る。『正しい水の飲み方・選び方』『ボケる、ボケないは「腸」と「水」で決まる』など著書も多数
藤田先生によると、長寿や病気を治すと伝えられる水は各地にあり、鍾乳洞窟からわく奥伊勢の水や、大雪山系の伏流水など、どれも人の手の入らない自然環境から生まれているそう。
「水を飲むだけで血液はサラサラに保たれ脳梗塞を防ぎます。自然の水であれば、動脈硬化やむくみを防ぎ、便秘解消の効果まで。高血糖のマウスの血糖値が下がったという報告もあるほどです」(藤田先生)。
これほどかんたんで効果的な民間療法はないだろう。朝・昼・晩・就寝前にコップ1杯飲むことを習慣にし、毎日1.5~2L飲めれば理想的だ。
水をもらい、飲むことには
古来の知恵が息づいていた
戦後、とにかく栄養をとることを重視した結果、水を「栄養も味もない無価値なもの」とみなす風潮が生まれたが、大きな誤りであった。水を飲むことの効能は、ただの水分補給にとどまらない。
「くすり水」を飲みに、あるいは汲みに来た参拝者はみな血色がよく、杖をつく人もほとんどいない。表情も明るくじつに健康的だ。そのなかでも、ひときわ肌ツヤのよい夫婦を見かけ思わず声をかけた。松本寛作さん(72歳)一子さん(69歳)。月1回、大阪からわざわざ水を汲みに来ているそう。
「僕は奈良の生まれで、三輪山の水を飲んで育ちました。1日8回飲むのが日課です。おかげで病気をしたこともなければ健康診断もオールA。お医者さんもビックリですわ!」
15kg以上ある水を苦もなく担ぎあげ、「今日は軽いほうだよ」と笑うと軽い足どりで帰っていった。
「水をもらい、飲む」という民間療法は、水の効用を経験的に知っていた先人の知恵と自然の恵みに感謝する姿勢が結びついたものなのかもしれない。それは、かつてわたしたちの祖先が大切にしてきた考え方。静かに水を飲む人たちの横顔には、その姿がたしかに息づいていた。
取材協力
大神神社
奈良県桜井市三輪1422
☎0744-42-6633