標高2339m、北海道中央部にそびえ、つらなる大雪山系。夏が訪れても、山頂付近の山肌には雪が残り、靄がかかる。険しく奥深い大自然の象徴だ。この厳しい自然環境を愛し、共存する者たちがいる。それはアイヌの人びとだ。
古来より彼らは、この広大な山々を「カムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)」と呼び、敬っていたという。
それほどまでに崇拝する大雪山の秘めたるちからとは……。 アイヌの人びとが暮らす、北の大地を訪ねた。
カムイとは、
“人間のちからが及ばないもの”という意
大雪山周辺を訪れると、太陽のやさしい木漏れ日が差しこむ、キラキラと輝く美しい清流が出むかえてくれた。『北の大地の青汁』の原料クマザサの群生地帯なだけあり、見たこともない大きさの野生植物がそこらじゅうに生い茂っている。鳥や虫たちのチロチロと鳴く歌声に心を洗われ、さらに山頂を目指して登る。
頂きの入り口に足を一歩踏み入れると、先ほどまでのやさしい山の表情が一変した。そこはまるで別世界。夏だというのに、うっすらと水蒸気がたちこめる白銀の大地が広がる。人間を寄せつけまいとする怪しげな表情を浮かべているのだ。
無音にひとしい静けさのなかで、かすかに聞こえる風と雪が擦れる山の声。このあたりには、エゾシカやキタキツネ、ヒグマといった野生動物も非常に多く生息する。彼らにとってみれば、人間のちからが及ばないこの険しい大自然は、まるで天上の楽園なのかもしれない。山を少し下り、アイヌの人びとが暮らす聖地へと向かった。
自然の恵みとは、
神々が与えてくれた恵み
大雪山のふもと、ここには古くから自然と共存する上川アイヌの人びとがいる。過酷な自然環境にもかかわらず、大雪山を敬い、そこで暮らすのはなぜなのか。上川アイヌ代表である川村兼一さん(シンリツ・エオリパック・アイヌ)はこう話す。
「我われアイヌは、人間のちからの及ばないもの、自然の恵みを授けてくれるもの、生きていくうえで欠かせないものを神(カムイ)と呼ぶ。ここ、大雪山にはそんなカムイがたくさん棲んでいる。生活に必要なものすべてが貯蔵された倉庫なんだよ」
アイヌの生活は、衣食住すべてが自然の恵みでまかなわれているようだ。
「わたしが着ているこのアットウシは、オヒョウニレやシナノキなどの樹木の内皮で織ったもの。このチセ(住居)だってそう。大雪山に自生しているフッタ(クマザサ)を編みこんで建てたんだ」
野生植物を衣服や住居につかうとは、なんともうらやましい自然とのつき合い方。獲物を狩るための矢じりやナイフも、黒曜石でつくるという。
「主食としている野草や山菜だって、ここでは四季折々でさまざまなものがとれる。もちろん、一度にとり尽くしてしまうようなことはせず、必ず『根』を残し、次の年のぶんを確保する。そうやって、カムイと賢くつき合っているんだ」
そんな自然と共存するなかで、絶対に忘れてはならないことがあるという。
「狩猟や漁獲、採集で得られる食材や道具といった自然の恵みは、すべて神々が与えてくれたもの。どんなときでも感謝の気持ちを忘れてはならない。だからこそ、我われは山のカムイ、水のカムイ、自然のカムイに祈りを捧げ、感謝の意をこめて儀式をおこなう。それが自然と共に生きるということなんだ」
神々の遊ぶ庭で懐う、
日本の古きよき姿
自然との共存。わたしたち日本人も、すこし前まではあたり前のようにやっていたことだが、文明の波に押され、すっかり忘れてしまったように感じる。
ひとは、空や大地、水といった自然とのかかわりなしには生きられない。しかし、町に住んでいると、その意識が次第にうすくなる。森を伐採した木材で家を建て、石油などの天然資源でからだを温め、毎日食べる作物も土や水や太陽が運んでくれたものなのに、ふとそのことを忘れる。いつのころからか、どこかへ置いてきてしまった自然への感謝の気持ち。
川村さんは最後に、大雪山の歌を歌ってくれた。
オプタテシケ
プルプルケ
ニシクルカタ
カニポンチェッポ
カムイエシノッ
エフム エフム
(日本語訳)
オプタテシケ
何かが湧き出ている
雲のうえでは、金の小魚、
銀の小魚がきらきらと光る
きっと、神様が遊んでいるんだ
そんな音がする
歌にこめられた、自然の偉大さ。ここにかけがえのないちからを見出したからこそ、彼らは自然と調和し、共存するのだ。大雪山の秘めるゆたかな自然の恵み、そして敬う気持ちを思い出させてくれたアイヌの人びとに感謝し、カムイミンタラの懐で、「イヤイライケレ(ありがとう)」をつぶやいた。