5月にスギナからはじまる妙高の野草採り。毎日山に入るのは野草採り名人の石田秀雄さん(82歳)をはじめ、地元・妙高の人びとだ。今年はドカ雪や記録的な大雨にも見舞われ、野草の出来が気になるところ。シーズンも終盤に入る8月下旬、新潟県妙高市へ向かった。
90歳でも毎日山へ。
とにかく元気な名人たち
「安心してください。今年もいい野草がとれています。雪の多い年はミネラルも有用菌も豊富なんですよ」
車を走らせながら話してくれたのは、ミヤトウ野草研究所の柳澤社長。
「今日ご紹介する“石田さんグループ”は収穫量がけた違い。2トントラックで引きとりにいくほど多いんです」
そのグループが発足したのは5年前のこと。じつは、『野草酵素』愛飲者の急増とともに、原料の野草が足りなくなる! と製造現場で肝を冷やしたことがあったのだ。
「さぁ、こっちこっち。入って」
ご自宅の玄関でむかえてくれたのは、本誌でもおなじみの石田秀雄さん(82歳)。と、見るからにお元気そうな4人の名人たち。なかでもいちばん肌ツヤのいい男性と目が合った。
「この人はね、石田義一さん。今年90歳になる大ベテランだよ。兄弟? いや、この辺は石田って名字が多いんだ」
この冬はドカ雪だったけど雪どけがはやかった、最近はイノシシやシカが増えた、など会話がポンポン弾んでいく。
「昔は夏休みの宿題に野草採りがあってさ、そのお金で学校の備品を買ったりね。親の代からやってるし、山は庭みたいなもん。ここらではあたり前なんだよ」
たった1時間で
軽トラックはいっぱいに
「じゃあすこし山にいってみようか」
石田さんのひと声でパッと身支度に移る。長靴をはき、お気に入りの帽子をかぶり、手には年季の入った鎌。愛車の軽トラックに乗りこむと、カーブの多い山道をぐんぐん進んでいく。
「この辺はどうだろうね」
急な斜面をヒョイヒョイ下りていく名人たち。途中、義一さんの奥さまの花江さん(83歳)が、ツルを刈りとった。なにかにつかうのだろうか。
「ザッ、ザッ」軽快な鎌の音が空に抜けていく。さわやかでスーッとする独特の香り……ヨモギだ。時間にしてほんの数分。あっという間に束ができあがった。それを先ほどの「フジツル」でキュッと結ぶ。軽々と担いでいくのは義一さんだ。
「山に入るのは1時間くらい。軽トラの荷台がいっぱいになったら終わり。収穫よりも、帰って選別したり裁断して乾燥させる作業の方が手間がかかるの」。
驚いた。そんなにみじかい時間でとれてしまうのか。
「こうやって野草をとってると、疲れるどころか元気になれる。やっぱり山が好きだね」
花江さんもつづける。
「ここは空気がおいしいでしょう。週に2回は街に下りて肉や魚を買うけど、空気が全然違う。都会から喘息の治療にやってくる人もいるんだよ」
野草の宝庫であるこの山も、澄んだ空気も、そして野草採りも。すべてが名人たちの元気の源だ。
ご褒美は、うなぎとビール!
これがたまらない
ひと休みしているときも、自然と野草の話に。
「もう50年くらい前かな。ある日突然、バイクで近藤会長がやってきて『野草を売ってくれないか』って。はじめはかわった人だなと思ったけど、ありがたい話だし引き受けたんだ。野草採りのいいところ? そりゃあお金になることだよね(笑)」
あっけらかんとした石田さんの言葉にみなさん大笑い。
「山に入って汗かいて、『今日はがんばったなぁ』って日はご褒美にうなぎを食べる。これが最高にうまい! ビールもついつい進んじゃって、カミさんに怒られちゃうんだよ。でもいまがあるのも近藤会長のおかげ。好きな仕事してお金がもらえて、おまけに健康もついてくる。こんなに幸せなことはない」
『野草酵素』でつかう野草はできるだけ地元でまかなう。それは地産地消や地域雇用という点で、開発者である近藤氏のこだわりでもあった。
「野草を売ったお金で、2歳と3歳のひ孫に自転車を買ってやったんだ。そういう楽しみがあるから、野草採りはやめられない。死ぬまで山に入るつもりだよ」
最年長の義一さんも頼もしい限り。まだまだ現役で活躍してくれそうだ。
つくり手も愛飲者も、妙高の野草で元気に。今回収穫した野草が『野草酵素』になるのは1年2ヵ月後。できあがりがいまから待ち遠しい。