わが心の野草だより 後編

編集長以下、幾人もの制作者が関わってきた「野草だより」。現在も編集部で活躍する面々が13年間の歴史を振り返ります。印象深い取材、苦労話、読者のみなさんへの思い、そして未来のこと――。

わが心の野草だより(前編)を読む

涙が止まらなかった
17歳の体験者の話

――では、これまでに取材した体験者さんのなかでとりわけ印象に残っている方はいらっしゃいますか?

ライターT ぼくは栃木県の石倉さんご夫婦です。からだのことで大変な苦労をされて、『野草酵素』を飲んでお元気になられた。それだけじゃなくて、社会貢献というか福祉のような仕事をされてらしたんです。温かくむかえてくれましてね。夫婦仲がよくて、「自分もこんなふうに歳をとりたいな」としみじみ思いました。その後も電話やハガキでおつき合いさせていただいて、「こっちに来るときは絶対遊びにきなよ」と言ってくださった。

2003年第18号に掲載された石倉重信さん・福子さん。今回100号にあたってお祝いの言葉をお寄せいただいた(15ページ参照)

ライターT 編集長は印象に残ってる取材は?

編集長 新人編集者のころに出会った愛知県の久田伸夫さん。ガソリンスタンドを経営している方で、かなり昔から『野草酵素』を飲んでいた。レンタカーを飛ばして知多半島の先までいったよ。健康のことを色々研究されていて、「野草をつかった酵素なんてほかにないよね」ってことで飲んでくださっていた。「野草つかってるんだからいいに決まってるでしょ!」なんて言うタイプの人でね。反響も大きかったよ。迷ってるときだったからすごく恩を感じてます。

ライターT この車の窓をふいてる写真いいですねえ。こういうの、なかなか撮れない。

2002年第11号の久田伸夫さん。お仕事中にも関わらず当時新人だった編集長を温かくむかえ入れてくれた

編集長 あとね、静岡県の小八重晴輝さんも忘れられない。当時見習いだったHくんという人が取材してくれた方なんだけど。

――17歳の高校生。「野草だより」史上最年少の体験者さんですね。

編集長 はじめお母さんが「『野草酵素』のおかげで息子の就職が決まりました」なんて連絡くださったから、「いったいどういうことだ?」ってお話聞かせてもらったの。彼は小さいころからひどいアトピーで悩んでいてね。工業高校に通っていたんだけど、職場見学にいってヘルメットかぶったら頭皮がむけてしまったとか、髪も生えないとか……。だから「就職なんて無理だ」ってあきらめていたんだって。お母さんが必死に色々勉強して食事も変えて、最後に『野草酵素』を見つけたと。そうしたら肌がどんどんきれいになっていった。写真見ても全然わからないでしょ?

編集H とても悩んでいたとは思えない。でも苦労したんじゃないかな。言うことがしっかりしているからさ。

編集長 「それからは胸張って就活してようやく決まったんだ」って。

編集H 「今日おまえの肌元気じゃん!」なんて友達の言葉もすごくいい。

編集長 この原稿を読んだとき、涙が止まらなかったよ

2005年第32号の小八重晴輝さん。当時はまだ幼さの残る彼もいまは立派な青年になっているだろう

近藤会長という人は、
存在自体にドラマがある

――2008年にカラー化します。シリーズ特集「近藤堯が心の国産をさがす」のような、『野草酵素』や『北の大地の青汁』の原料の産地取材などが増えますね。

ライターY カラーでしかできないことをやろうということでした。最初は研究所のみなさんも取材慣れしていなくて大変でしたけど。

編集H 近藤会長は物静かな人だからね。

第68号より誌面がカラーに。冬の妙高を取材し美しい景色を捉えた。以降、遠方への取材も増え華やかな写真が誌面を彩るように
2010年11月、特集の取材で訪れた青森県西津軽郡でのオフショット。カメラマン曰く「この人はいつシャッターを切っても絵になる稀有な存在」

カメラマンW でも今年の新春、藤田紘一郎先生との対談ではよく話されていましたよ。研究者同士レベルの高いお話で盛り上がっていました。

編集長 近藤会長はオーラがあるんだよ。はじめて会ったとき「やられた」と思った。温かいんだけど厳しい人でもある。怖いなと思う瞬間もあったね。

カメラマンW カメラマンとしてはこの人ほど絵になる人はいない。撮影のときに「ああしてください、こうしてください」なんて言う必要はなくて、そこにいるだけでドラマを感じるんです。

ライターT 場の空気が変わりますよね。

カメラマンW カラー化してからは青汁の取材も印象に残っています。とくにクマザサの収穫現場! 刈り子さんの苦労をできるだけ克明に伝えたくて朝もやの大雪山に分け入りました。じっさい、過酷な現場でしたよ。

2010年9・10月号ではクマザサの収穫現場を取材。足場の悪い山中で刈り子たちに密着した

時代が移りかわっても
「野草だより」はかわらない

――そのころから鶴見先生や荒木先生、藤田先生など専門家の方々が登場しはじめます。また伝統的な発酵食品を取材するなど、誌面が華やかになりました。

ライターT 先生たちのおかげで説得力が増したというか。これまで自分たちが言いつづけてきたことは間違ってなかったんだという感じでした。

編集H やっと体裁が整ってきたから、有名な先生にもお仕事をお願いできるようになってね。

ライターT そのおかげもあって次は発酵食品、今度は腸内環境と次々視野が広がっていったんです。そして「伝統的な日本食」という視点を見つけたことで新たな責任感が生まれました。つまりこの食文化を次世代へ伝えなければと。最近は子どもが表紙を飾ることも多くなりましたね。

編集長 子どもたちは未来をもっている。この子たちに恥ずかしくない世の中をぼくらがつくらなきゃいけない。それにはまず食生活なんだよ。人間のからだは食べたものでつくられるんだからね。

ここ数年は子どもたちが表紙を飾ることもしばしば。伝統的な食文化や健康への正しい意識を未来に残したいという思いからだ

――話は尽きませんがそろそろお時間が迫ってきました。最後におひとりずつ、「野草だより」のこれからについてお聞かせください。

編集H ページが増えてカラーになって、視点も色々かわってきた。でもたとえば伝統のなかからよいものを見つけ出すとか、核になる部分はかわっていない。今後もこのスタイルは維持していきたいね。

ライターY 近藤会長がよく「激励はいらない。批判をください」と言っていますが、「野草だより」もそうです。読者のみなさんとのコミュニケーションのなかでいいものが生まれるんだと思います。

ライターT 生活スタイルは変化していくけれど、伝統的な食事とか、かわらず大切にしなきゃいけないものもある。それを地道に支えていくのがぼくらの役割かなと思っています。

カメラマンW みんなが心のよりどころを失くしている時代ですからね。ぼくらみたいなバカ正直な人間がいてもいいんじゃないでしょうか。

編集長 みんな色々あるようだけど、つまりこういうことだよ。これまでもこれからも、「野草だより」はかわらない。

――なるほど。今日はお疲れさまでした。つぎは200号をむかえたときにまたお会いしましょう。

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2024/02/23 11:13:14