野草だより
128号
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通巻100号記念企画

おかげさまで「野草だより」は、創刊から100号をむかえました。

平成13年6月の創刊号から足かけ13年。ついに野草だよりは100号目を発刊するまでに至りました。創刊号の印刷部数はたったの500部。A4サイズでモノクロ4ページ、製本も簡素なものでした。

今号は創刊100号を記念した大特集。ページもいつもより少しだけ増やさせていただきました。なにしろ100号ですからね。そして読者のみなさまには大々的なプレゼント告知もございます! 100号ですから奮発してド〜ンといきますよ。

夏の暑いなかお忙しいとは思いますが、つめたい麦茶でも飲みながら、どうか最後までじっくりと目を通してあげてください。なんといっても特別な100号ですからね。

それでは野草だよりの100号記念大特集、はじまります!


通巻100号記念企画

わが心の野草だより(1)

編集長以下、幾人もの制作者が関わってきた「野草だより」。
現在も編集部で活躍する面々が13年間の歴史を振り返ります。
印象深い取材、苦労話、読者のみなさんへの思い、そして未来のこと――。


揺らぐ「食の安全」に問題提起をした草創期



第19号~27号まで9回にわたって連載された「『食の安全』は守られているか」。通販会社の会報誌の枠を破るジャーナリスティックな内容だった

−−ついに「野草だより」は今号で通巻100号をむかえました。長く制作に携わられたみなさん、まずは創刊当時のお話を聞かせください。

編集長 懐かしいなあ。たしか近所の印刷屋さんに頼んで刷ってもらったんだよね。たったの500部だったからいまみたいに大きな工場では扱ってもらえなくて。

カメラマンW このころから隔月の発行でしたっけ?

ライターY いえ。はじめは不定期刊行でしたね。

編集H Yくんは長いからね。わたしより少し後だったかな? たしか最初のギャラはお昼ご飯だけだったね。

ライターY あれには驚きましたよ。(一同笑)

ライターY まあ、まだ駆け出しのライターだったのでそれでもうれしかったんです。記事の内容も真面目でやりがいがありました。

編集H 「こんなにちゃんと取材するんだ」なんて驚いていたね。

−−その後、第9号で1000部に到達。19号から、「『食の安全』は守られているか」という連載がはじまります。

ライターT 健康食品の通販の会報誌でここまで社会派の内容はめずらしいですね。BSE問題や産地偽装の問題に思いきって切りこんでいる。

ライターY 当時、食の安全が揺らぐようなニュースがつづいていたんです。ぼくらとしてもひとつもの申したいという気持ちでした。

編集長 なにか不祥事があると世間は特定の企業や生産者をヒステリックに責め立てるでしょう? でもそれって、「安さ」や「利便性」を追い求めてきた消費者の方にも責任があるんじゃないかと思ったんだよね。下地をつくったのは自分たちなんじゃないかと。

ライターY 自分がふだん食べてるものはどういうふうにつくられているのか。あらためて考えようというイメージでしたね。

編集長 最近は産地偽装なんかは聞かなくなったけど、たとえば加工食品のメーカーに勤めてる人が自分の子どもには自分の会社の食品を食べさせたくないとか、農家の人が自分たちで食べる野菜は別につくってるとか……。メーカーや農家さんにも事情があるのはわかるんだけど、そんなふうに大人が嘘ついていたら次の時代なんてないぞと思ったんだ。

編集H でもそうさせているのは我われ消費者なんだと。

編集長 そうそう。「国産品への妄信」も気になっていたな。お刺身は産地表示しなきゃいけないけどタタキは加工品だから表示しなくていいとか(※)、食の安全はほんとうに守られているのかと。

ライターT 当時はまだ鶴見先生や藤田先生は登場していなかったけれど、それに近いメッセージを発信していたんですね。

※2004年の生鮮食品品質表示基準改正前。



通巻100号記念企画

わが心の野草だより(2)

必ず現場を取材する体験談に嘘はひとつもない

−−そうした記事にちからを入れるいっぽうで、創刊当初から一貫して「野草だより」の主軸は体験談であるというのも感じます。これまで594人ものお客さまに取材をしていますね。

編集長 594人はわれながらすごいよね。

ライターY 昔は電話のアポどりが大変だったんですよ。勧誘やセールスと間違われることも多くて。

ライターT いまは不思議とそういうことはない。大概みなさんこころよくお話してくださいます。

編集長 当時もいまも変わらず守っているのが、普段着でいくということだね。背広着てネクタイ締めていったらそれはセールスと同じ。ぼくらは訪問販売じゃない。あくまでお客さまと話すためにいくんだから普段着にカメラぶら下げていってます。


体験談の取材風景。初対面にも関わらず温かくむかえ入れていただき、まずはじっくり世間話


−−なるほど。ところで体験談というと、「これってほんとうなの?」と聞かれることもしばしばかと思いますが……。

編集H 「野草だより」の体験談はすべてほんとうの話です。

ライターT 芸能人もモデルもつかわないし、嘘を書いたことは一度もない。体験談を書くときってすごく気持ちが入るんです。お話を聞きにいくと必ず人生の話になる。ぼくらとしても「『野草酵素』を飲んで感想いかがですか?」なんてことは二の次で、お孫さんが小学校にあがったとか、旦那さんはこんな人なんだとか、そういうお話こそがおもしろい。

ライターY どんな人にも絶対にその人にしかないエピソードがありますからね。

編集長 うん。誌面の都合や薬事法に考慮してやむなく削ってるくらいなんだ。最近はみなさんまとめて話してくださるけど、はじめのころはお互いに慣れていなかった。戦争のお話が2時間、『野草酵素』の話は最後にちょっとなんてザラ。でも、それがいいんです。要点だけ聞きたいなら電話で済むからね。直に会いにいくことに意味がある。「野草だより」には絶対に“一次情報”しか載せないというポリシーがあります。誌面を埋めるために、どこでも読める料理のレシピだとかストレッチ法だとか書くのは違うとぼくは思う。

編集H そこはずっと守っているよね。

編集長 可能な限り現場を取材するというのがジャーナリズムの基本。体験談はその最たるものなんだ。



通巻100号記念企画

わが心の野草だより(3)

涙が止まらなかった17歳の体験者の話

2002年第11号の久田伸夫さん。お仕事中にも関わらず当時新人だった編集長を温かくむかえ入れてくれた



2003年第18号に掲載された石倉重信さん・福子さん。今回100号にあたってお祝いの言葉をお寄せいただいた(15ページ参照)



2005年第32号の小八重晴輝さん。当時はまだ幼さの残る彼もいまは立派な青年になっているだろう

−−では、これまでに取材した体験者さんのなかでとりわけ印象に残っている方はいらっしゃいますか?

ライターT ぼくは栃木県の石倉さんご夫婦です。からだのことで大変な苦労をされて、『野草酵素』を飲んでお元気になられた。それだけじゃなくて、社会貢献というか福祉のような仕事をされてらしたんです。温かくむかえてくれましてね。夫婦仲がよくて、「自分もこんなふうに歳をとりたいな」としみじみ思いました。その後も電話やハガキでおつき合いさせていただいて、「こっちに来るときは絶対遊びにきなよ」と言ってくださった。

ライターT 編集長は印象に残ってる取材は?

編集長 新人編集者のころに出会った愛知県の久田伸夫さん。ガソリンスタンドを経営している方で、かなり昔から『野草酵素』を飲んでいた。レンタカーを飛ばして知多半島の先までいったよ。健康のことを色々研究されていて、「野草をつかった酵素なんてほかにないよね」ってことで飲んでくださっていた。「野草つかってるんだからいいに決まってるでしょ!」なんて言うタイプの人でね。反響も大きかったよ。迷ってるときだったからすごく恩を感じてます。

ライターT この車の窓をふいてる写真いいですねえ。こういうの、なかなか撮れない。

編集長 あとね、静岡県の小八重晴輝さんも忘れられない。当時見習いだったHくんという人が取材してくれた方なんだけど。


−−17歳の高校生。「野草だより」史上最年少の体験者さんですね。

編集長 はじめお母さんが「『野草酵素』のおかげで息子の就職が決まりました」なんて連絡くださったから、「いったいどういうことだ?」ってお話聞かせてもらったの。彼は小さいころからひどいアトピーで悩んでいてね。工業高校に通っていたんだけど、職場見学にいってヘルメットかぶったら頭皮がむけてしまったとか、髪も生えないとか……。だから「就職なんて無理だ」ってあきらめていたんだって。お母さんが必死に色々勉強して食事も変えて、最後に『野草酵素』を見つけたと。そうしたら肌がどんどんきれいになっていった。写真見ても全然わからないでしょ?

編集H とても悩んでいたとは思えない。でも苦労したんじゃないかな。言うことがしっかりしているからさ。

編集長 「それからは胸張って就活してようやく決まったんだ」って−−。

編集H 「今日おまえの肌元気じゃん!」なんて友達の言葉もすごくいい。

編集長 この原稿を読んだとき、涙が止まらなかったよ。


通巻100号記念企画

わが心の野草だより(4)

近藤会長という人は、存在自体にドラマがある

2010年11月、特集の取材で訪れた青森県西津軽郡でのオフショット。カメラマン曰く「この人はいつシャッターを切っても絵になる稀有な存在」



第68号より誌面がカラーに。冬の妙高を取材し美しい景色を捉えた。以降、遠方への取材も増え華やかな写真が誌面を彩るように



2010年9・10月号ではクマザサの収穫現場を取材。足場の悪い山中で刈り子たちに密着した

−−2008年にカラー化します。シリーズ特集「近藤堯が心の国産をさがす」のような、『野草酵素』や『北の大地の青汁』の原料の産地取材などが増えますね。

ライターY カラーでしかできないことをやろうということでした。最初は研究所のみなさんも取材慣れしていなくて大変でしたけど。

編集H 近藤会長は物静かな人だからね。

カメラマンW でも今年の新春、藤田紘一郎先生との対談ではよく話されていましたよ。研究者同士レベルの高いお話で盛り上がっていました。

編集長 近藤会長はオーラがあるんだよ。はじめて会ったとき「やられた」と思った。温かいんだけど厳しい人でもある。怖いなと思う瞬間もあったね。

カメラマンW カメラマンとしてはこの人ほど絵になる人はいない。撮影のときに「ああしてください、こうしてください」なんて言う必要はなくて、そこにいるだけでドラマを感じるんです。

ライターT 場の空気が変わりますよね。

カメラマンW カラー化してからは青汁の取材も印象に残っています。とくにクマザサの収穫現場! 刈り子さんの苦労をできるだけ克明に伝えたくて朝もやの大雪山に分け入りました。じっさい、過酷な現場でしたよ。


通巻100号記念企画

わが心の野草だより(5)

時代が移りかわっても「野草だより」はかわらない

料理研究家 横山タカ子さん
(2012年1・2月号)



医学博士 藤田紘一郎先生
(2013年1・2月号)



2010年からは毎年新春に近藤会長と各界の著名人との対談を実施。鶴見先生はその後「鶴見先生の酵素生活のススメ」を連載することに
(2010年1・2月号)



ここ数年は子どもたちが表紙を飾ることもしばしば。伝統的な食文化や健康への正しい意識を未来に残したいという思いからだ

−−そのころから鶴見先生や荒木先生、藤田先生など専門家の方々が登場しはじめます。また伝統的な発酵食品を取材するなど、誌面が華やかになりました。

ライターT 先生たちのおかげで説得力が増したというか。これまで自分たちが言いつづけてきたことは間違ってなかったんだという感じでした。

編集H やっと体裁が整ってきたから、有名な先生にもお仕事をお願いできるようになってね。

ライターT そのおかげもあって次は発酵食品、今度は腸内環境と次々視野が広がっていったんです。そして「伝統的な日本食」という視点を見つけたことで新たな責任感が生まれました。つまりこの食文化を次世代へ伝えなければと。最近は子どもが表紙を飾ることも多くなりましたね。

編集長 子どもたちは未来をもっている。この子たちに恥ずかしくない世の中をぼくらがつくらなきゃいけない。それにはまず食生活なんだよ。人間のからだは食べたものでつくられるんだからね。


−−話は尽きませんがそろそろお時間が迫ってきました。最後におひとりずつ、「野草だより」のこれからについてお聞かせください。

編集H ページが増えてカラーになって、視点も色々かわってきた。でもたとえば伝統のなかからよいものを見つけ出すとか、核になる部分はかわっていない。今後もこのスタイルは維持していきたいね。

ライターY 近藤会長がよく「激励はいらない。批判をください」と言っていますが、「野草だより」もそうです。読者のみなさんとのコミュニケーションのなかでいいものが生まれるんだと思います。

ライターT 生活スタイルは変化していくけれど、伝統的な食事とか、かわらず大切にしなきゃいけないものもある。それを地道に支えていくのがぼくらの役割かなと思っています。

カメラマンW みんなが心のよりどころを失くしている時代ですからね。ぼくらみたいなバカ正直な人間がいてもいいんじゃないでしょうか。

編集長 みんな色々あるようだけど、つまりこういうことだよ。これまでもこれからも、「野草だより」はかわらない。

−−なるほど。今日はお疲れさまでした。つぎは200号をむかえたときにまたお会いしましょう。


通巻100号記念企画

野草だよりは全国47都道府県、すべてをまわって取材してきました。

野草だよりには「一次情報しか載せない」という強いこだわりがあります。テレビや雑誌、インターネットで収集した情報とはひと味違う、現地にいかなければ得られない情報だけを、読者のみなさまにお届けする。だから徹底して現場主義にこだわってきたのです。

北海道・十勝地方
2010年3・4月号特集

「幻の神木を追って」

かつてアイヌの人びとに神木として珍重されたエゾウコギ。急な斜面に点在する野草のため、ひとつひとつ見つけてノコギリで切っていく収穫作業はまさに命がけ


北海道・大雪山系

刈り子さんたちはスズメバチやヒグマなど夏山の危険と常に隣り合わせでクマザサの収穫作業をおこないます。そして鮮度が落ちないよう素早く加工場へ運ばれ、『北の大地の青汁』の原料になるのです


青森・西津軽郡
2011年3・4月号特集

「こめられた命を無駄にしないために――」

手足も凍える寒さのなかひとつひとつ手洗いし、漂白剤をいっさいつかわず乾燥させるヤマイモ。生産者のこだわりに、近藤会長も納得の太鼓判




新潟・妙高山

『野草酵素』のふるさと妙高山には何度も足を運びました。ミヤトウ野草研究所のみなさんの案内で野草摘みにも同行。多くの人が手をかけ、時間をかけ『野草酵素』はできあがるんだと実感しました。68号のカラー化以来、巻頭特集の取材では最も多く訪れた場所です 


富山・小矢部市
2012年11・12月号特集

「完熟の一瞬を、つかまえる」

「このハトムギは健康のために飲まれる『野草酵素』の原料になる。こうしてミヤトウの会長さんも来てくれるんだから、化学肥料なんてつかえない」。ハトムギ生産者の誠実な言葉に心を打たれました


長野・上田市
2009年11・12月号特集

「もうひとつの野草酵素農法――」

野草酵素農法を実践する林さんご夫妻。ご主人の学生時代からの研究の成果と酵素のおかげで、育てたリンゴはあっさりした甘味があり食感もシャキシャキ。酵素リンゴは『野草酵素』の原料にもなります


和歌山・湯浅町
2012年5・6月号特集

「醸造が育む、日本人の心の味」

発祥の地といわれる湯浅町で、伝統の醤油づくりの製法を守りつづける醤油蔵をとりあげました。添加物でかんたんに味を調えてしまう大量生産品とは違う本物の味は、地元の子どもたちにも醤油づくりの体験授業として受け継がれていました


福岡・福岡市
2011年11・12月号特集

「母から子、孫へ伝えるおふくろの味」

かつての日本のおふくろの味、ぬか床料理専門店を営む下田敏子さん。「戦後の日本は食事や環境、考え方が180度変わってしまった。誇るべき食文化まで見失ってしまった気がする」という言葉に共感する読者も多いのでは


鹿児島・奄美大島
2009年9・10月号特集

「野草酵素の幻の原料とは…!?」

酵素たっぷりの奄美大島のパパイヤは近藤会長がどうしても欲しかった原料のひとつ。各地を10年以上探し歩いてようやく見つけたという幻の原料を取材しました




沖縄
2010年11・12月号特集

「南の島で丸かじり果実を見つけた」

2012年3・4月号特集

「ウージ、南風に揺られて」

近藤会長は2004年の愛飲者との座談会以来3度、沖縄を訪れています。無農薬だから安心して皮ごと丸かじりできるパイナップルとレモン。そして黒糖の産地、伊平屋島へ向かう船は高波に悩まされましたが、そこにはほんとうの安心・安全がありました



通巻100号記念企画

この13年のあいだに、さまざまな交流がありました。

酵素米の田植えから健康セミナーまで、手づくりのイベントも各地で開催されました。生産者と消費者・読者をつなぐ交流の場としておおいに盛り上がりました



2000年7月 妙高山にて第1回を開催。今年で18回目

野草酵素のふるさとを訪ねる旅
(旧:野草刈りツアー)

すっかりおなじみになった「野草酵素のふるさとを訪ねる旅」。野草だよりの編集部員も新人のころは研修として必ず参加します




2001年5月 東京都調布市深大寺「門前そば」にて開催

健康セミナー

講義のあとの雑談ダイエット学が意外な盛り上がり。そのあとはおいしい深大寺そばをいただきました




2002年5月・9月 千葉県我孫子市にて開催

酵素米の田植え・稲刈り体験

まだ酵素米の販売を開始する前におこなったイベント。ズボンをまくって昔ながらの田植えに初挑戦。想像以上の重労働でしたがとれたての新米のおにぎりの味は格別でした!




2003年10月 千葉県我孫子市にて開催

座談会 食の安全を考えて

まだ産直おとりよせがブームになる前。ふだん直接意見を言い合うことのすくない生産者と消費者が、それぞれの立場から食の安全について語り合いました




2004年5月 栃木県那須高原のペンション「グリーンぺぺ」にて開催

週末プチ断食

1日リンゴ1個と『野草酵素』だけで過ごす「週末プチ断食」。食べられないつらさも2日目には慣れ、からだを中からスッキリ大そうじして中性脂肪がグ〜ンと下がった参加者も!




2004年12月 沖縄県那覇市、2009年6月 北海道札幌市にて開催

近藤会長緊急座談会

「妙高までいってみたいけどちょっと遠いし……」といただいたお電話から企画が実現。近藤会長と高松さんが愛飲者のもとを訪ねる交流の場が設けられました




2004年12月 千葉県我孫子市にて開催

野菜の収穫と芋煮会

読者と生産者との交流を目的に開催。野草酵素農法で育てた野菜をみんなで収穫し、篠崎さん特製の芋煮汁と酵素米のおにぎりに舌つづみ




2011年6月 愛知県名古屋市「ホテルコムズ名古屋」にて開催

『北の大地の青汁』マル得セミナー

講師はクマザサ博士の原先生とドッサリの伝道師・荒木先生。クマザサ青汁の愛飲者33名が集まり、両先生の講演になるほどナットク。参加者同士の交流もさかんにおこなわれました



通巻100号記念企画

創刊100号おめでとう!

おなじみのあの人、なつかしのあの人からのメッセージ



いままで野草だよりに登場いただいた方々より、100号達成のお祝いメッセージが届きました。おなじみのあの人はもちろん、お久しぶりのあの人も100号達成をお祝いしてくれています。野草だよりへのメッセージをここで一挙大公開!



部数が増えてもかわらないで

とうとう100号をむかえましたね。編集部のみんなとは特集の取材で全国をまわったけど、どれも読みごたえのある記事にまとめてもらいました。創刊号のころは『野草酵素』もまだあまり売れてなかった(笑)。それが少しずつ世の中に広がるにつれ、野草だよりの内容もますます充実していった。編集部の徹底した現場主義は、わたしの研究姿勢といっしょ。どんなに部数が増えてもそれだけはかわらないでほしいですね。そして100号までを支えていただいた読者のみなさん、ありがとうございました。わたしからも深くお礼申し上げます。

近藤堯会長
『野草酵素』開発者。(株)ミヤトウ野草研究所会長




近藤会長との対談、とても楽しかったです

野草だよりに登場してからたくさんの反響がよせられました。わたしも近藤会長との対談、とても楽しかったです。野草が持つ強力なパワーの源を長年研究されてきた近藤会長の研究者としてのお姿を拝見できて、とても幸せでした。
日本人の乱れた腸内環境の改善のためには、手づくりの野菜・豆類・くだもの類や発酵食品をとることが大事です。現代人の健康のために必要な『野草酵素』の普及のため、野草だよりが今後も順調に発刊されることを希望します。

藤田紘一郎先生
医学博士




講演会でもつかってますよ

野草だよりに初めて掲載していただいたのは近藤会長との対談でしたね。会長は大変紳士で、穏やかな人格者というイメージでした。その次の号から「酵素生活のススメ」の連載がはじまりましたが、いやもう19回になるんですか。自分で言うのもなんですが、この記事はすごくわかりやすいでしょう? 自分の講演会でも野草だよりに載ったグラフをつかってますから(笑)。これからもいい商品をより多くの人に広めるためにがんばってください。

鶴見隆史先生
鶴見クリニック院長




「野草だより読んだよ!」と声をかけられます

野草だより100号達成、ほんとうにすごいことと心からお祝い申し上げます。そして最近では知人や近所の方に「野草だより読んだよ!」、「クマザサ青汁、注文したよ」と声をかけていただくことがあります。うれしい反面、ドッサリに悩むひとがいかに多いかを実感しました。最後にそんな方々へわたしからのメッセージを。
もし出なくても一喜一憂せずゆったりと過ごしてください。そうすれば副交感神経がはたらきドッサリへと通じます。ゆったりすればドッサリ! です。

荒木陽子先生
医学博士




これからも楽しみにしててね!

もう100号なの? はやいもんだねぇ。「野草のじかん」を楽しみにしてくれる読者がいるから、さらに野草のことを研究するようになったんだよ。これからもっとおもしろい野草情報をお届けするから楽しみにしててよ。
えっ? 今年の妙高の野草? 雪解けが遅かったから生育も少し遅いかな。でも大丈夫。ぼくが最高の野草だけをよりすぐるから!

石田秀雄さん
妙高山の野草摘み名人




毎号ドキドキ、ワクワク

取材を受けたり、同行させていただいたりとさまざまな形で関わらせていただきましたが、届くたびに今回はどのような記事になっているのか「ドキドキ」、「ワクワク」して読みました。
野草だよりを通じ、お客さまから直接うかがうことがむずかしい率直な声を知ることができ製品づくりに活かされていることに大変感謝しています。これからも1号でも長くつづいていかれることを祈念しております。大変おめでとうございました。

高松喜美江さん
(株)ミヤトウ野草研究所




ずいぶん立派になったねぇ

昔は白黒だったのにこんなきれいな冊子になって、立派になったもんだよ。
昔、我孫子で酵素米の収穫祭をやったのも印象深いねぇ。小学1年生くらいの男の子が酵素米のおにぎりを気に入っちゃってね。ひとりで7つも食べちゃったんだから(笑)。
酵素米は順調に育ってるよ。今年は風が強いんだけど酵素米の稲は風にも強いから大丈夫。楽しみに待っててね。

篠崎正徳さん
野草酵素農法の生みの親




あっという間の13年だったね!

ぼくは第1号から登場しているけど、あっという間の13年だったね。「もう100号?」って感じだよ。
酵素米の田んぼにも過去に何度も取材に来てくれてるんだけど、一度スタッフが歩いて来たことがあってさぁ。うちの田んぼって駅から1時間以上も歩かなきゃいけないんだよ。しかも恰好は長靴姿で、なぜか網まで持ってて(笑)。それはすごく覚えてるよ。熱心さが伝わってうれしかったなぁ。今年の収穫のときもまた取材しに来てよ! 駅まではむかえにいくからさ(笑)。

須藤映二さん
酵素米生産者




日本のよき食文化をともに次世代へ渡しましょう

昨年の近藤会長との対談、掲載後は周囲でも「見ましたよ」という反響が多かったんですよ。会長が「機械の油で汚したくないから野草は手で摘む」とおっしゃっていましたね。うれしかったわ。その思いを守りつづけてください。
わたくしも日本一の長寿県長野の食文化を次世代に渡すためこれからも精進いたします。

横山タカ子さん
郷土料理研究家




300号を目指してがんばってください。 

毎回楽しく拝読しています。特集記事はとても勉強になるので、いくつかスクラップしています。安定感のあるオーソドックスな画面構成も好感がもて(そういえば商品群のパッケージも同様ですね)安心して読めます。時代や流行に影響されずいつまでも正統派の路線で200、300号を目指してください。心より応援しています。

谷川桜太郎先生
漫画「妙高の緑風」作者






刈り子のみなさん

北の大地にまた来てね!

野草だよりの取材スタッフのみなさんは親しみやすく、いつもリラックスして取材を受けることができました。
100号到達おめでとうございます。わたしたちはこれからも北海道の地から品質のよいクマザサを全国へ届けられるようがんばりますので、また機会があったら取材に来てくださいね!

伊藤昌敏さん
クマザサ加工場長






きちんと取材して書いてる姿勢がとてもいい

もう11年も前になるんだね。たしか酵素米の記事を読んで「ぜひ食べてみたい」って電話したのがキッカケだった。まだとり扱いがはじまる前で、無理言って我孫子の須藤さんから直接とり寄せたんだよな。野草だよりはさ、きちんと取材して書いてる姿勢がとてもいい。好感が持てるよ。当時は酵素なんて飲んでる人ほとんどいなかったけど、いまはすごいブームになったよね。流行に踊らされないで、野草だよりもいままでどおりのスタンスでつづけてほしいな。

2003年第12号掲載
本間秀和さん






当時取材にうかがった編集部員とも10年ぶりの再会。「おふたりともおかわりないですね」、「あなたもねぇ」

よろこび・思いが伝わる体験談。この方針はかえなくていいよ!

100号、輝かしい記念だね。野草だよりに載ったのは、ちょうど10年前。取材では熱心に話を聞いてもらったことをよく覚えています。いまの野草だよりは、時世にあった企画がおもしろい。体験談もよろこび・思いが伝わってきて、つい読んでしまう。この方針はかえなくていいのでは? かわらないといえば、毎日欠かさず飲んでいる『野草酵素』。わたしにとって酵素は「幸素」。幸せのもとです。この歳でからだになにごともないのはほんとうにうれしい。やっぱり継続はちからなりですね。100号つづいた野草だよりもそうでしょう。おめでとうございます。

2003年第18号掲載
石倉重信さん・福子さんご夫妻